オタクをやめた理由~ネット依存型のオタクはろくでもないという結論~
私はここ4年ぐらいは一切アニメを観たり、PCゲームをプレイしていない。
特に、アニメは全く面白いと感じなくなった。
理由は「生身の人間との交流がいい」と「ネット依存型のオタクは暗く、ろくでもないから(完全に同族嫌悪^^;)」
中・高校と楽しんでいたアニメコンテンツは年齢が経つにつれ、チープに感じてしまった。例えば、中学・高校時代は視野が狭いので、「アニメ」や「漫画」を十分に楽しめたが、成長するにつれて「生き方」や「人生」に視野を広げる。すると、途端にアニメコンテンツがちっぽけに見えてしまう。
自分も人並みに恋愛やシンドイことを多少経験していることで、それに「共感」する作品を求めるようになったがアニメにはそれがない。
つまり、アニメや美少女ゲームがつまらない一番の理由は、
「共感」や「考えさせること」が全くないこと。
「高校という名の学園」を軸に展開される、内容が浅い美少女やイケメンのいちゃらぶ物語は流石にシンドイ。
勿論、例外もあり、「智代アフター」、「車輪の国、向日葵の少女」、「素晴らしき日々」、「クロスチャンネル」等など素晴らしい作品もあるが多くは酷い。
一方、映画(特に洋画)や小説には「共感」や「考えさせる」作品がある。また、自分の人生と重ね合わせることで、あたかも代理経験をしているような感じを味わえる。
楽しかった経験、辛い経験など自身の経験と照らし合わせることでその作品に「共感」を覚える。
洋画の「きっと、うまくいく」、「Disney's The Kid」なんて凄く響くものがある。
つまり「生身の人間」に焦点を当てたものに充実感を覚える。
そして、実際に友達や親友と酒を酌み交わし色々と会話する。これがどんなアニメよりも遥かに充実して素晴らしい。
ここからが本題で、「ネット依存型のオタクは暗く、ろくでもない」のが一番の問題。
ネットを居場所にしている人は結構多いと思う。ニコニコ動画が居場所がない人に居場所を与えた役割は大きいと思う。
ただ、ネット依存型のオタクはかなり偏屈なので(失礼)物凄く偏りが生じてしまう。そのような人物で集団が形成されると基本ろくでもない。
ネット依存型のオタクは初期から他人から承認されることはないので偏屈になり、僻み妬みやすい人物になる。
Twitterやネットで目にする「鬱ツイート」や「他人への誹謗中傷」、「偏向報道への攻撃性」、「炎上」は正に典型的な例。
現に、私の描いた絵に対して「上達してないし微妙」とわざわざ私のブログに書き込む者もいた(削除済み)。嫉妬しやすく妬みやすい、そのくせ自己承認欲求は人一倍高い典型的な例だ。
それらを目にしても心が晴れやかになることはなく、他者への攻撃性が増し、より偏屈になるだけだ。
最近だと、「金曜プレミアム・池上彰緊急スペシャル 格差はなぜ世界からなくならないのか」で放送された格差を指標したグラフにおいて、ネット上で盛り上がったのもその典型的な例だと思う。
「池上彰は悪い」、「偏向報道」、「俺たちが正しい」みたいな、全く専門性を学んでいないのに関わらず、他者を否定する誹謗中傷。自分たちは弱者側なのに、自分たちで自分の首を絞める行為。
やはり、ネット依存型のオタクはろくでもないというのが結論。
そして、満足感を得られるのは生身の人間と交流している時だという結論。
散々ネット依存型オタクを批判しておきながら「アイドル」にハマる愚行を犯している自分・・。
そして、年越し前にこんな記事を書いている自分自身がヤバいという現実から目をそらす自分。
だから、潮紗理菜ちゃんを見て癒す。
そう、オチはきっちり欅坂。
けやき坂46 かけのぼるまでまてない! 潮紗理菜 | HUSTLE PRESS OFFICIAL WEB SITE
*結局、「智代アフター」をプレイしてしまった。
完全に同じ穴の狢だった (´・ω・`)